2024-03-12

アントニイ・バークリー「最上階の殺人」


四階建てフラットの最上階に住む老婆が殺された。現場は相当に荒らされ、被害者が貯め込んでいた現金も持ち去られていた。スコットランド・ヤードのモーズビー警部はプロの犯罪者によるものとして捜査を進める。だが、偽装工作の跡を見て取った探偵小説家ロジャー・シェリンガムは、同じ建物の住人たちに疑いの目を向けるのだった。


1931年に発表された、シェリンガムが登場する長編としては七作目の作品。
とりあえず、始まりはいつもと同じような感じ。警察は事件を平凡なものとみなすが、その捜査の粗に目を付け、全ての疑問点がうまく当てはまる説をなんとか拵えようとするのが我らがシェリンガム。その割に容疑者の絞り込みは推理ではなく、印象だけで進めてしまう。この辺りは結局、警察のやり方と五十歩百歩。ただ、シェリンガムの殊更に物事をややこしくする考え方のほうが、圧倒的に楽しいのは確か。

事件はひとつしか起こらないけれど、小さな謎が積み重なっていき、あれやこれやの推理の種には事欠かない。ユーモア味たっぷりの愉快な語り口に、何だったら恋愛要素もあって、軽快に読み進めていけます。
シェリンガムは犯罪に調査を進めていくうち、ある人物に目星をつけるが、それとは反するような事実につき当たり、いったんは手詰まりに。だが、ちょっとした証言によって、それまでの推理の前提が崩れていく。ここから俄然、シリアスに。

解決編はなかなかドラマティックであって、引き込まれずにはいられません。何しろ、色々な要素が気持ちよく嵌っていく。さらに、謎解き小説としては余分であった部分が、ここへ来て機能しているのは流石。
ただ、犯人のキャラクターを考慮するとトリックは手が込みすぎではないか。そして更に言えば、余詰めへの配慮が無さ過ぎる(もっともバークリイはそんなのばかりだが)。まあ、読んでいる最中は完全に手玉に取られていましたけどね。

細部を詰めず、余白を多くとることで可能になる推理の柔軟性を駆使するバークリイのスタイル、それが非常に大きな効果を上げた作品であります。当然、凄く面白かったっす。

2024-03-03

The Grays / Ro Sham Bo


米国産パワー・ポップ・カルテット、1994年の唯一作。今年で30周年ということになるな。
このグループは、ジェリーフィッシュを抜けたジェイソン・フォークナーがソロ・デビューする前に参加した、といえば通りは良さそうである。
アルバムの方はドラマー以外の三人が曲を書き、それぞれ自作を歌っていて、誰かしらリーダーによるワンマンというものではないように見える。ただし、フォークナーは後のインタビューで、あのレコードに収められている演奏の大半は僕がやった、とも言っている。どうも彼にとっては、あまりいい経験ではなかったようだ。


そのフォークナーの曲は、既に作風が出来上がっていて、他のメンバーのものと比べ、練度ではひとつ抜けているように思います。シングルになった "Very Best Years" もいいが、ベストは骨太なメロディをもつ "Friend Of Mine" かしら。
ただ、バンド・サウンドがときにヘビーに寄るところがあり、曲によってはそれが合っていないような気がします。このひとはやっぱりソロが良かったのかも。

ジェイソン・フォークナーをグループに誘ったのがジョン・ブライオン。現在は映画音楽の制作や、他人のプロデュースなどが主な仕事だが、いまのところ一枚しか出していないソロ・アルバムが凄くいいのです。
で、そのソロ・アルバムには繊細で、メロウな手触りもあるのだけれど、ここではギター・ポップのスタイルに沿った曲を披露しています。"Same Thing" は凄くキャッチーだし、"Not Long For This World" もメロディのフックが効いている。また、ナイーヴな感じの歌声は既に独特の魅力を発揮しております。

そして3人目のソングライター/シンガーがバディ・ジャッジ。実はこのひとのキャリアが一番興味深いのだが、それは置いて。このジャッジさんの曲も、明解な "Everybody's World"、泣きの入った "Nothing" など荒々しさの中に英国ポップ風の味付けが生きていて決して悪くはないのだけれど、個性という点では一歩譲るか。


正直、飛び抜けた特長には欠けるのですが、細かいアレンジは考えられているし、楽曲自体にも良いものがあって、捨てがたい一枚です。

2024-02-24

横溝正史「女王蜂」


伊豆の沖にある月琴島育ちの美貌の娘、智子は18歳を迎えると義理の父親のいる東京の屋敷に引き取られることになっていた。だが、その日がくる直前に警告文が舞い込む。彼女が島を離れたなら、その前には次々と死人が出るだろう、というのだ。


1952年、金田一耕助もの長編。
設定や展開には、過去作品の再利用のようにみえるものがあって。とりわけ、地位ある人物の娘を射止めようとする野心家の若者たちの争いとくれば前年の『犬神家の一族』と一緒じゃん、と思ってしまう。
もっとも物語の雰囲気におどろおどろしい所はなく、むしろ都会的な印象。話の流れも実に滑らか。良いことかどうかはわかりませんが。色々な事件が起こっている割に、既視感もあってか読み物としてあっさりとした印象も受ける。

フーダニットとしては登場人物がそれほど多くない中で誤導を利かせ、なかなか尻尾を掴ませないし、大きなトリックはないものの、実にうまいこと拵えられている。作中の表現を借りれば「段取りがうまくついて」いるのだ。特に写真を巡る伏線や、「蝙蝠」に例えられる欺瞞(チェスタトンのいただきではあるけれど、用例はそんなに多くないのでは)がいい。
そして何より、関係者を集めた中、耕助が犯人を指し示した科白、そのダブルミーニングよ

一方で、連続殺人の見かけに対して、内実があまりにモダンすぎるのではないか。そのおかげで犯人の見当がつき難くなっているのだけれど、動機の説得力を弱く感じるかも。
特に納得しがたいのは、自分自身が遠い過去に犯した犯罪をわざわざ掘り返して「あれは事故ではなく、殺人だっただろう」と警告に使ったこと。結局、その秘密がばれそうだと思って更なる殺人を重ねたのだから、さすがに心理的に無理があるのでは。

派手なキャラクターや、いきなり拳銃が出てきたり、あるいは耕助が謎を解くことで更に死人が増えたりと、いわゆる通俗性も強いですが、脂の乗った時期とあってミステリとして細かい芸が楽しめる作品でありました。

2024-02-18

鮎川哲也「竜王氏の不吉な旅」


バー「三番館」のバーテンダーが謎解きをする作品集、その光文社文庫版の一冊目。作品は発表順に並べられているそうで、本書はシリーズ最初期、1972~74年 のものがまとめられています。
収録されている作品には中編といってよいボリュームのものが多く、謎が複数用意されていたり、プロットに捻りがあったりで単純なものはない。バーテン氏は一から十まで絵解きするわけではなく、探偵の手の届かない部分にヒントを与える、という役回り。足で稼ぐ捜査小説と頭の切れる素人探偵ものの面白さをミックスしたような味わい。


「春の驟雨」 殺人事件の犯人の目星は付いているのだが、アリバイがある。また、絞殺された死体は何故か浴槽に沈められていた、というホワイダニットという、大きな謎が二本立てになっている。解決されてみるとそれら謎がちゃんと繋がっているのが良いです。単にアイディアを詰め込んだわけではないのだ。
アリバイ崩しに苦心惨憺するところは鬼貫警部ものと共通するテイストですが、犯人陥落の際の切れ味はなかなかの恰好良さ。よく考えると都合が良すぎるところもあるのですが。

「新ファントム・レディ」 タイトルが示すように古典『幻の女』のシチュエイションに挑戦した作品で、ボリュームたっぷりの一編。容疑者にされてしまった男は何故、その店の店員や常連客たちに覚えられていないのか。そして真犯人は誰か。
探偵による聞き込みで重要な点が明らかになる展開は、これも鬼貫警部ものを思わされる。最大の謎はまあ、想定の範囲でしょうか。バーテンの推理も、たまたま知識があったから、という感じ。
もっとも中編といっていい分量を、ツイストの利いたプロットで面白く読まされたのは確か。

「竜王氏の不吉な旅」 がっちりとしたアリバイ崩しもの。探偵の活躍によって鉄壁と思われていたアリバイが徐々に解かれていく過程が、やはり鬼貫ものに近いテイストなのですが充分に面白い。
最後の最後に残されたありえない謎がすぱっ、と落とされる切れ味も素晴らしく、表題作とされるだけのことはある読み応えです。

「白い手黒い手」 シンプルなアリバイ崩しと見えて実は、という中編。状況が大きく変化するきっかけはちょっとした知識が必要なものだ(わたしは知りませんでした)。また、タイトルになっている謎、その手掛かりにも人によってはピンとこないものがあるか。
この作者の他のシリーズではできないような形で事件を決着までもっていくのだが、それも証拠が弱いからでは。

「太鼓叩きはなぜ笑う」 倒叙もののような導入だが、バリバリのアリバイ崩し。
犯人によるトリックは手が込んでいて、ちょっと見当が付かないだろう。しかし、無理筋じゃないの、と思われる犯罪計画の細部がバーテン氏によってしっかり詰められていくのは流石であります。

「中国屏風」 起伏のあるプロット、謎のありかたがなかなか確定しないことで読ませられる。
ひとつの気付きからがらり、と事件の様相が変わっていく展開が素晴らしい。ロジックの面白さでは一番、好みです。

「サムソンの犯罪」 物語の導入が凝っていて、アリバイがあるはずなのにそれを主張できないという逆説がよいです。
捻った真相はカーにもあったような趣向なのだが、好みは別れるだろう。この作品も手掛かりの気付きが肝であり、そこからの展開が冴えている。安楽椅子探偵ものとしては、バーテン自身が最後を落とすこれが、一番完成されていると思いました。

2024-01-30

S・S・ヴァン・ダイン「グリーン家殺人事件」


6年ぶりくらいの新訳ヴァン・ダインであります。一作目『ベンスン殺人事件』と次の『カナリア殺人事件』の新訳の間にも5年ほどインターバルがあったので、これはもう、そういうものなのだろう。『グリーン家殺人事件』は1928年の作品なので、百周年までには間に合った。

以前にも書いたのだけれど、『グリーン家~』は戦前・戦後における我が国の探偵小説に非常な影響を与えた作品であるらしく、その大きさのあまり、さまざまなところで犯人の名前がばらされてきました。なので、わたしもこれまで読んでいませんでした。
ただ、都筑道夫がクイーンの『Yの悲劇』における『グリーン家~』の影響を語っていたこともあって、いつかは読んだほうがいいな、新しい翻訳で出たら読もうか、と長いこと思っていたのです。

で、ようは初読なのですが。
事件がひとつで終わらないだけあって、前二作と比べると展開が早いですね。貴族探偵ファイロ・ヴァンスが既に捜査陣と懇意になっていることもあってか、気障なところもあまり鼻につかなくなっています。

ともかく事件はテンポよく起こり、謎は積み重なっていく。
足跡まで残しているにもかかわらず、犯人の実在感が奇妙なくらい希薄であって、このことが異様な雰囲気や緊張感を生み出しているのではないか。
一方で、推理らしい推理はなかなか行われません。この事件は一筋縄ではいかないぞと唸ってばかり。読者からすれば辻褄の合わない事実は明らかであって、そのあたりをちゃんと捜査・検討してくれよと思わずにはいられません。はったりで引っ張るにはこの作品は長すぎるのだ。今の目からすると、ちょっと締りが無いように感じてしまいます。

四度も殺人が起こったのち、終盤近くになって、それまでの無策ぶりを取り返すかのようにファイロ・ヴァンスは活躍を始めます。特に、犯人逮捕の流れは見所で、今となってはお約束の展開なのだけれど、そこまでのまったりとした進行との対比もあって、なかなか迫力があります。

最後にヴァンスによって絵解きがなされるわけですが、改めて見直される事件全体のスケール、その大きさは当時としては画期的であったでしょう。また、犯人の構想を支えている趣向は今見ても独特であります。
もっとも、推理という点では相変わらず大したことがないのだな。トリックのいくつかに関してはろくに伏線もないまま、ただ明かされるだけだし。

とはいえ、本格ミステリでしかありえないテイストが充満していて、古典だよなあ、という満足がありました。

2023-12-20

平石貴樹「スノーバウンド@札幌連続殺人」


誘拐とその後に起こった殺人事件、その過程が関係者たちによって不規則なリレー式に書き継がれる。
はじめは誘拐犯が殺され、その殺人犯を探すという話なのだが、背景にある暴力教師や宗教団体が絡みだして、事件の様態がどんどん変わっていく。

十代の若者たちによって内輪向けに書かれた部分が多く、ときにそれらは唐突に途切れて次の書き手へと渡される。それによって不自然さをある程度カモフラージュしているようである。それでも流れの中で明らかに浮いている箇所があって、何か隠されているのか、あるいは誤導なのか。

誘拐事件に関して、ある可能性に思い至るのは難しくないだろう。うまくいけば、そこから芋づる式に他の事件の真相も見えてくるかも。
実際、個々の手掛かりはかなり分かりやすい形で転がされているのだ。ただ、全体像を描くには心理的な難度が高い。裏付けもちゃんと書き込まれているのだが、それでも想像力が要求されることは間違いない。
また、推理困難な手の込んだトリックも一つあるのだけれど、わざわざそんなものを使わざるを得なかった動機もうまく説明されているので、不満にはならないですね。

何気にアイディアてんこ盛りであり、フェア(だと思います、これは)でガチガチの謎解き小説でした。

2023-12-17

はっぴいえんど / はっぴいえんど (eponymous title)


近年は加齢及び長年の酷使のせいで聴力が衰えてきております。旧譜を新しいマスタリングで出し直されても、元となるマスターテープが同じだとそんなに大きな変化を感じない場合が多くなりました。これブラインド・テストだとわかんないかな、という。実際には波形が前のと一緒じゃん、という詐欺に近いような製品もあるのですが、それは置いといて。
まあ、リマスターに対して食指が動きにくくはなっているのですよ。

はっぴいえんどの新規盤なんですけどお。これも、もういいかな、お値段もするし。でも「風街ろまん」のマスターテープはオリジナル・アナログから最近までに使われていたものより世代がひとつ若いものになっているというじゃあーりませんか。
などと迷った末、結局三タイトルとも入手しました。とはいっても音質の向上を一番期待していたのは「風街~」ではなく1970年に出た一枚目、通称ゆでめん、なのです。


4トラックでのレコーディングのせいか、もしくは当時の我が国の録音技術の限界か、はっぴいえんどのファースト・アルバムは音が瘦せているという印象です。同時代のアメリカのバンドのようなサウンドを目指し、エンジニアにレコードを聴かせて、こんな風にしたいんだとミーティングを行ったはずが、できたのは日本的な湿り気というか抜けの悪さ、寒々しい音で、何がバッファロー・スプリングフィールドだよ、という。曲自体は凄く良いのにね。
次作の「風街ろまん」ではその問題が嘘のように解決されていることもあって、なんとかならないかしら、と思っていたのですよ。

初回限定盤のブックレットは資料として充実したもの

で、新しいのを聴いてみたんですが。結論からいうと改善はされています。湿度を感じさせる音のキャラクターそのものはもちろん変わりませんが、ちゃんと迫力のある、バンドとしてのエネルギーが伝わってくるものになっています。
技術の進歩とはえらいものだな、と阿呆みたいな感想をもってしまいました。

「風街ろまん」はスマートなんだけれど、このデビュー盤のほうが濃いというか、引っかかる部分が多いのね。それで繰り返して聴いちゃう。