2009-07-28

William DeVaughn / Be Thankful For What You Got


涼し目のソウルでひとつ。

一発屋、ということになるのかな。ウィリアム・ディヴォーンがフィラデルフィアのシグマスタジオにおいて、自費で録音したシングル "Be Thankful For What You Got" は、レコードレーベルに買い上げられたのち1974年にミリオンセラーに。
それを受けて出されたアルバムは、なかなか微妙なバランスの上に成り立っているような、ちょっと他にない個性のものであります。

ディヴォーンのスタイル、というのはカーティス・メイフィールドのメロウな面を抽出し、水で薄めたような印象。ヴォーカルは下手ではないが、それほど黒さや存在感があるわけでもない。スピリチュアルな感じはするけれど。
その分、バックの演奏が際立っています。フィリーのセッションマンたち、MFSBはここでは華麗さは控えめでちょっとラフな感じ、リズムが大きめにミックスされてるのが特徴です。ストリングスが入っていない曲も多く、小編成ゆえに演奏のグルーヴが伝わって来やすい。そのあたりが、このアルバムに現代的なテイストを与えているのではないかな。

ディヴォーン自身の手による楽曲は、どれもなかなかのレベルにはあるのだが、ワンパターン気味です。それが逆にアルバムを頭からケツまで通して、気持ちよく聴くことができる理由のようでもあって。

なんか、中途半端がちょうどいい塩梅になった、そんな天然もの。クールで格好いいです。

2009-07-26

Marva Whitney / It’s My Thing


ジェイムズ・ブラウン一座のソウル・シスターNo.1、マーヴァ・ウィットニー。アイズリー・ブラザーズの "It’s Your Thing" のアンサーソングである、"It’s My Thing" がヒットしたことを受けて、1969年に制作された彼女のファーストアルバムです。英国でCD化の際、シングル曲等がボーナスで追加されています。

‘60年代後半、ジェイムズ・ブラウン・バンドが絶頂にあった時期だけに、素ん晴らしくゴリゴリのファンクが堪能できます。クライド・スタブルフィールドのドラムがすさまじい。
肝心のマーヴァの方ですが、ジャケットには可愛らしく写っているけれど、唄の方はテンション高くシャウトが多用されるもので、そんなに叫びまくって喉は大丈夫? と思うほど。ただ、スロウの曲でもサビに来ると全開になるのですが、普通に歌っているところでは、あれ、それほど上手くないのかな、という感も。とにかく迫力のある演奏に負けない気合の入ったものであるのは確か。あと、リズムに乗ったしなやかさが身上かな。

明らかに音質が違う曲が含まれていて、おそらくライブで演奏した録音をスタジオで手直ししたものだと思われるのだけど、そうすると当時は未レコード化の新曲もステージにかけていたということで、相当勢いがあったのだね。また、レコーディングとライブを同じメンバーでこなしていた強みもあるか。
あと、アナログの各面の最後に当たる曲がインストであって、マーヴァの歌を期待したらガッカリかもしれないですが、これらが非常にいい出来で、特に "In The Middle" という曲はむき出しのリズムがループ感のある格好良さ。このベースいいなあ、スウィート・チャールズか? と思って調べたらティム・ドラモンドでありました。凄いね。

一枚のアルバムとしてこれほど純度の高いファンクが詰まったものも、そうは無いでしょう。JBのファンなら押さえていたい一枚ですな、やはり。

2009-07-13

ポール・アルテ「赤髯王の呪い」


ポール・アルテのもので未読だったのを一冊、読みました。正式デビュー前に書かれた中編「赤髯王の呪い」と、短編が三つ収録。すべてツイスト博士もの。

「赤髯王の呪い」はもともとフェル博士を探偵役に書かれた作品だそうで、なるほど、不可能犯罪やおどろおどろしい伝説等、初期のディクスン・カーを思わせる非常に力の入ったものであって、つまりアルテの基本スタイルはデビュー前から変わっていない、ということですね。
後の長編作品に劣らないくらいにアイディアてんこもりである上、メインのトリックもカーのある有名作を彷彿させるもので、いちアマチュア作家の「おれはカーのようなミステリを書きたいんだ!」という熱気が作品全体から伝わってきます。この迫力は処女作のみが持ちうるものでしょうか。ちょっと彼の他の作品からも得がたい魅力です。
また、物語の閉じ方はひとひねりあって、フランスらしい心理ミステリという感も。

短編の方は、どれも限られた紙幅に不可能犯罪と合理的な解決を押し込めたもので、そうすると所々無理が出るのは仕方ないか。特に動機は「そんな理由で人を殺すか?」というようなものであります。ひいき目で見れば、黄金期のミステリを読んでいるようで、かえって快いですけどね。

あらためて、アルテは日本の新本格とシンクロしているようだ、という感を持ちました。
作風にぶれがない、ということも確認。

2009-07-05

松本寛大「玻璃の家」


島田荘司が選者を務める「福山ミステリー文学新人賞」の第一回受賞作。

島荘先生の言葉を借りると「『相貌失認(そうぼうしつにん)』という、人相を把握できない珍しい脳の障害を得た目撃者、コーディ少年が、心理学者とともにいかにしてこの障害を乗り越え、犯行者を発見していくか」というお話。


舞台はアメリカ、ニューイングランドのさびれかけた町。廃墟となっている屋敷に潜り込んだコーディ君が、死体を燃やしているところを目撃してしまう。事件としてはそれだけです。

コーディ君は犯人の顔を見ているのだけれど、それをうまく認識することができない。心理学科の研究員、トーマはコーディ君の目撃者としての能力を計りつつ、証言の信憑性について判断を下さねばならない。

実際の事件の捜査は警察に地道な聞き込みによって絞られていくものであり、そこにはミステリらしい飛躍はあまりありません。関係者は限定されていき、結構早い段階で犯人はわかってしまいます。しかし、証拠がない。踏み込んだ物的調査をするにはコーディ君の証言が必要なのですね。


そうした捜査の描写の合間に、舞台となった屋敷にまつわる過去の出来事が語られます。17世紀の魔女狩り、屋敷内のすべてのガラスを取り除いてしまった奇妙な男、打ち捨てられた後の屋敷でラリっているうちに死亡したヒッピー。それらと現代の事件との繋がりが次第に明らかになっていき、物語が広がりをみせていく。


文章は新人とは思えないくらいしっかりしているのですが、反面実直すぎてケレンがなく、ミステリとしてはどうかな、と思いながら読んでいました。事件の捜査をしてるのは警察で、探偵役らしいトーマはコーディ君の能力を調べてるだけだし。犯人バレてるし。

それが解決編に至り、怒涛の勢いで仕掛け・トリックが明らかにされていくので、この変化には驚きました。それまでリアリスティックな捜査小説だったのが、一気に本格ミステリとしてのスケール感が爆発していきます。逆に、この最後の部分だけに目一杯詰め込み過ぎたため、物語全体として割りを食っている感じも。


地味な展開と派手な解決のバランスがあんまり良くない、という印象は持ちましたが、新人離れした構想力と小説のうまさがある、というのは間違いの無いところ。

ただ、巻末に挙げられた心理学関係の参考文献の量も半端ではなく、このスタイルだと量産は効かないだろう、という気はします。