2010-12-29

レイモンド・チャンドラー「リトル・シスター」


村上春樹訳チャンドラー第三弾。『さよなら、愛しい人』のあとがきで次はこの作品を訳する、と知ったときはちょっと意外だった。創元社からの『かわいい女』のイメージがあったからだ(しかし、この本の帯には「翻訳権独占 早川書房」と書かれているな)。村上春樹は、清水俊二が翻訳を手掛けたチャンドラー作品を全部新たにやり直すつもりなのだろうかと思っていたが、「このあともマーロウものの翻訳を更に続けていきたいと思う」ということらしい。

僕はチャンドラーの作品は一応、全部読んでいるけれど、この長編はややこしすぎてあんまり覚えてないのです。
プロットの不備には訳者あとがきでも触れられているけれど、それ以上に比喩のやりすぎ感が強い。ファンタスティックで意味がよくわからないところもあるし、全然うまくないな、と思うところも多い。なんだか枝葉が出すぎて筋道がすっと頭に入ってこない。
また、独白が饒舌すぎてとてもハードボイルド小説とは思えないところもある。だれかに分かってもらいたくて仕方がないのに、自分からは心を開こうとしない孤独な男。彼のストイシズムは他人への甘えを「悪」と見なすことから来ているのか。

ついでに言うとディテールの書き込みにはリアリティがあるが、物語自体にはリアリティはまるっきり、無い。そして、事件の真相はこの作家の長編の例に漏れず、非常に入り組んだものである。「私はいかにももっともらしく見えるものごとは間に受けないことにしている」とそれまでとは別のレベルの「ありそうなこと」を語り始め、おおよそ誰にも見当が付かないような複雑な、しかし状況設定に対してはもっともふさわしい真相に辿り着くのだ。ここらへん、日本の現代ミステリに通じるところが大、だと思うのだが。

チャンドラーの個性が強く出すぎて、作品としてはバランスの悪いものとなった作品であります。だが、ファンであればそれだからこそ、愛でることができるのではないか。現代にわざわざチャンドラーの小説を読むのに、いまさら完成度を求めるひともいないだろう。
あと、村上春樹の仕事はすばらしい。『リトル・シスター』が『かわいい女』ではないのはもちろん、あとがきにも目から鱗、であります。

2010-12-12

Colin Blunstone / One Year


ゾンビーズは若い頃、結構気合を入れて聴いていましたが、解散後のメンバーの作品はそれほど熱心にフォローはしていません。時代が違って、サウンドも全然別になってしまっていて、あまり好みではなかったので。

コリン・ブランストーンのソロ一枚目「One Year」(1971年)は時々、その存在を思い出して引っ張り出します。正直、"She Loves The Way They Love Her"、"Smokey Days" は後年になって発掘されたゾンビーズのヴァージョンの方がいいし、"Misty Roses" もティム・ハーディンのオリジナルにはかなわない、とは思う。けれど、アルバム全体の流れが凄く良いのですね。丁寧に作られた感じで、通しで気分よく聴いていられる。

プロデュースはクリス・ワイトとロッド・アージェント、ゾンビーズ時代の仲間であります。演奏もバンド形態のものはアージェントのメンバーが担当しています。他にはクラシカルな室内楽団をバックにした曲が入っていて、実はこちらの方がずっと好みなのだな。エルヴィス・コステロが「Juliet Letters」を出したときには、この「One Year」を連想したものですよ。あくまでポップソングだけれど、せいぜいアコギくらいで後は無理にロック的アレンジを混ぜようとしなかったのが吉と出ていますな。

個人的に一番好きなのはラストを飾る "Say You Don't Mind"。跳ねるリズムに美しいメロディ、ストリングスとの調和がいい。ボーカルの表情の使い分けもいい感じで、最後で裏返るところなど、たまらない。デニー・レインのオリジナルもそのうち聴いてみたい、とずっと思っているのだが未だ果たせないでいる。

声とサウンドが絶妙の相性を聴かせるこのアルバム、他にない個性を湛えた愛すべき一枚ですな。この季節、しみるねえ。

有栖川有栖「長い廊下がある家」


火村英生ものの短編集。

冒頭にあるのが表題作「長い廊下がある家」、これが100ページちょっとで一番長い作品。特異な舞台設定の不可能犯罪であって、いかにも本格ミステリといった感じですが、読みなれた人ならトリックの見当は付いてしまうかも。捨てトリックはその分、大げさで何だか面白く、手堅いだけのお話になりそうなところを救っている感。
また、ちょっとありそうにない話に出来るだけリアリティを持たすためのプロット、状況が丁寧に作りこまれているのが良いです。決め手になる物証の冴えはこの作家ならでは。

「雪と金婚式」
ある人物が殺人事件の犯人の見当がついたのだが、事故で記憶を失ってしまった。はたして警察も苦労している事件を解決できた、その手掛かりとはなんだったのか。一捻りある趣向です。
条件が限られているので意外性は無く、軽めのお話なのですが、綺麗にまとまっています。ええ話や。

「天空の眼」火村准教授が出てこず、普段はワトソン役であるアリスが思いつきを繋げるようにして謎の真相に迫っていく。グーグルアースで何気なく事件現場に当たっているうちにヒントを掴む、とかこの作家らしいな。意外なプロットの展開が良いね。

「ロジカル・デスゲーム」比較的緩めの作品が続いたところで、この短編では火村自身が頭のイった人物に拘束され、自殺ゲームを強要されるという緊迫した状況。3つのグラスに注がれたオレンジジュース、うちひとつには致死量の毒が入れられており、どれかを選んで飲み干さなければならない。心理的な駆け引きを交えつつ、どうやって解決策にたどり着くか。
ガチガチのパズルの中で意外な抜け穴を突いた、この本の中では一番の佳編。

各編、本格ミステリの枠組みの中でバラエティを凝らし、水準はクリアしているのですが安定感がある反面、やや食い足りないか。表題作意外にも、もう少し長めの作品が欲しかったというのが正直なところ。ねちっこいロジックのものが読みたいですな。