2011-09-24

エラリー・クイーン「レーン最後の事件」


ドルリー・レーン四部作の新訳、その最後になりましたが、予告に遅れず出版されましたよ。
この作品は、レーンものとして書かれた他の三作とは随分と趣が違いまして。現代的でスピーディーに展開していく、という点は同年の『エジプト十字架の謎』と共通するものだけど、純粋に探偵小説として見ればやや大味な点があるのは否定できないところ。
ただ、大胆な伏線などは流石で、一見、ただのケレン趣味と思われたものにも実は必然があるのだね。そして、一気呵成に語られる犯人特定の迫力は充分なのだが、ラスト前のレーンによる人物確定の手掛かりとの相似は、どうしたって異様で。果たして、レーン自身は音の手掛かりに思い至ることができたのだろうか?

まあ、そのようなことを置いておいても、クイーン長編の中でも特にドラマとして忘れがたいのがこの作品なのだな、うん。何度も読んでいて筋がわかっているせいだろうけど、そちらの盛り上がりに気が行ってしまう。
単独の作品としてより、四部作の最後としての意味がずっと強いものではありますが。

レーンはサムに手を差し出した。「さようなら」
「さようなら」サムは小声で答えた。しっかりと握手を交わす。


さて、訳者あとがきによると2012年からは角川文庫からも国名シリーズが出るということだそうで。創元推理文庫の後追いになるわけで、それほど売り上げは見込めないだろうが、古典としてカタログに残しておきたい、ということなのであれば嬉しいな(喰い合って共倒れにならなければいいのだけれど)。
しかしヴァン・ダイン(以下略)。

2011-09-23

アガサ・クリスティー 他「漂う提督」


『漂う提督』は英国の探偵作家の集まりである〈ディテクション・クラブ〉のメンバーにより書かれたリレー長編小説で、1931年に出版されたもの。
最近クリスティの作品を月イチくらいで、だいたい発表年代に沿って読んでいて、今回はその番外編のつもりでした。これまでは全部、早川書房の「クリスティー文庫」を新品で買っていたのだけれど、この作品は版元品切れが長い事続いているようで、中古で入手。そうして実際に手にしてみると、クリスティは少ししか書いておらず、肩透かしの感。

この作品、プロローグを担当したチェスタトンを除くと、12人の作家が参加しておりまして。クリスティの他、有名どころではセイヤーズ、クロフツ、バークリイ、近年になって我が国でも見直されているのがヘンリー・ウェイド、ジョン・ロード、ミルワード・ケネディ、ロナルド・ノックスあたりで、その他はあんまり良く知らないひとたち。
分量は各作家ばらばらで、一番多いのは80ページにわたる解決編を手がけたバークリイなんだけれど、その次がセイヤーズで、彼女は序文も書いてる力の入れようです。逆にエドガー・ジェプスンなどは7ページしかない。


さて、その出来栄えですが。
リレー小説なので各章によってキャラクターの印象が変わってしまうのは仕方が無いのかもしれないけれど、どうも他の作家の目を気にし過ぎたのか、既出の捜査結果をひっくり返して意外な展開を作っていることが多い。警部が「これは重要な手掛かりを掴んだぞ」と思っても次の章になると「あれはちゃんとしたものじゃなかった」なんて考え直すことがしばしばで、読んでいて混乱してくる。
それで、第八章においてノックス僧正がそれまでにさんざんかき回された事件の疑問点を整理して挙げていくのだが、その数なんと39。作家たちの不注意が原因である矛盾も含まれているであろう、これらの疑問全てに合うようなうまい説明をつけるのはちょっと無理でしょう。彼より後の部分の担当者たちがうんざりして「ノックスのやつは余計なことをしてくれる」と思ったとしても不思議は無いな。
そういう風なので、最後を引き受けたバークリイは相当苦労したのでは。自分の前までで全く収束に向かう気配がないのだし。それでもさすがバークリイ、意外な展開も交えつつなんとか解決はつけたものであるけれど、う~ん・・・。

あと、巻末には各作家たちによる、自分が担当した章までの材料を用いた推理の梗概が並べられていて、(中には穴だらけのものもありますが)『毒入りチョコレート事件』的な面白さも見て取れるか。

なんだかごちゃごちゃしていていて、独立した長編としてはいまひとつなのですが、ミステリのエッセンスみたいなものが濃縮されている作品ではあるかな。疲れました。

2011-09-22

Butterscotch / Don't You Know It's Butterscotch


このリイシューは我が国でも待ってたひとは結構いるのではないかな。
1960年代から活動していた英国のソングライターチーム、アーノルド=マーティン=モローがバタースコッチ名義で'70年にリリースした唯一のアルバムが、シングル曲を加えてCD化されました。いくつか漏れているものがありコンプリート集とはいきませんでしたが、まずはこうやって出されたのはめでたい。

バタースコッチは裏方さんによるユニットだけあって、ツボを得た曲作りが魅力のMORポップスで、親しみやすく、すぐに口ずさめそうなメロディが良いですわ。ちょいセンチメンタルな感じが日本人好みですな。
バックの方はストリングがばっちり入っているものの重たくはならず、風通しの良い爽やかな仕上がり。そこに乗っかるボーカルは優しく、少し泣きが入っていて、さながら昭和歌謡という趣。
アルバムとしてはバブルガム風のものと、もう少し落ち着いた曲調のものが良い塩梅で並んでおります。

サウンドの独創性なんてものは無い予定調和なポップスですが、理屈抜きに楽しめる佳曲が揃っていて、トニー・マコウリィなんかが好きなひとなら気に入るのでは(そういえば彼らはエディソン・ライトハウスにも曲を提供していたのだな)。日本でのみヒットしたという "Surprise, Surprise" という曲などはフライング・マシーンのようでありますよ。

2011-09-19

倉阪鬼一郎「五色沼黄緑館藍紫館多重殺人」


「普通の人はバカミスなんて読まないんだよ。喜んでるのは一部の変態だけだ」

毎年一冊、講談社ノベルズから出る倉阪鬼一郎の館もの。
降りしきる雪によって外部から遮断された洋館。そこに招待された客の間に起こる連続殺人! この世の外から現れるという、伝説の怪物の仕業なのか?
なんて設定ですが、まあ、このシリーズ(?)を読んできた人間なら、そんなこと言われても真面目に期待はしてないですよね、もはや。はじめから脱力する準備はできてるよ、てな感じで取り掛かりました。

目次を見るとすぐにわかるので書いてしまうけれど、四つの殺人が起こります。そこまでが全体の半分で残り半分を謎解きが占める、というあまり他にはない配分なのですが、謎解きそのものよりも謎解きの質が章を追うにつれ変容していく様が読み所かな。

大詰めの仕掛けはまあ言ってみれば、いつもと同じなんだけれども、大昔のニューウェーヴSFを思わせるシーンもあり、様式を徹底することで遂には別のものへと突き抜けた、という印象です。すでにバカミスですらない、というか。
ミステリ的なカタルシスはとうに失われているのだけれど、かまわず走り続ける姿は美しい。

2011-09-18

歌野晶午「密室殺人ゲーム・マニアックス」


『密室殺人ゲーム2.0』が出たとき、作品の性質からして続きはさすがにもうないだろうと思ったのだけれど。巻を重ねても過激なコンセプトによる衝撃度は薄まるばかりであるし。
ただ、このシリーズは三部作で構想されていたようでありますね。今作『マニアックス』はその完結編ではなく外伝的エピソードということで、本の厚みも前作の半分ほどしかない。
目次を見ると有名作品のタイトルをもじった章が四つ並んでますが、今作は連作短編集ではなくて、幾つかの不連続な事件を含む(短か目の)長編、というほうが正しいか。

内容としては鬼畜さ、アナーキーさがかなり減退。なんだかキャラクター達も、ややおとなしくなった印象なのは、こちらが慣れたからか。
また、使われているトリックは例によって前代未聞で、手の込んだものではあるけれど、バカトリックとして見ても衝撃度はさほどない。更には、ディスカッションも手堅いものの、それ単独で楽しめるほどではなく、全体にミステリとして小粒な感は否めない(とは言え、最後まで読むとそれが必然だった、という気もする)。

それでも物語の閉じ方はさすが。というか、このオチだけがやりたかったのかな。う~ん、そんな小味なキレの良さは求めていないのだが。
まあ、この作品単独でどうこういうものではないのでしょうね。

2011-09-17

アガサ・クリスティー「謎のクィン氏」


裕福な初老の男であるサタースウェイト氏が、半現実的な存在であるハーリ・クィンに導かれながら事件の真相に迫っていく、そんな短編が1ダース。それぞれの作品はこれまで読んできたクリスティの短編集『ポアロ登場』『おしどり探偵』に収められたものと比べると少し長めで、それゆえ読み応えのある物語になっています。

最初の方に並んでいるのはトリッキーな、普通のミステリに近い内容のもので、クィンが謎解きのイニシアティヴを取っているのだけれど、作品が進むにつれ、次第にサタースウェイト氏は自分から積極的に行動するようになっていき、リアルタイムで起こった事件を解決したり、あるいは未然に防ぐようになる。そうするとますます普通の探偵小説になりそうだが、クィンの実在の危うさが物語に奇妙な陰影を落とし続けていて、むしろ独特な味わいは強まっています。
後半になるとファンタジックな要素が雰囲気だけで無く、はっきりと現実に食い込みはじめ、奇談に近い感触の作品も。

個人的なベストは「死んだ道化役者」かな。ミステリとしても入り組んだ要素をもっているのだが、幻想的な味付けにより物語の膨らみが出て、濃密な印象を残す。その両者がレベル高く有機的に絡んでいるし、バランスも素晴らしい。

他人の人生の傍観者というサタースウェイトと、なんでもお見通しのワトソン役であるクィンという設定は、非常に現代的であると思う。また、二人の関係性が徐々に変化して、遂には・・・というのも連作としての必然を感じさせるもので良く出来ています。
クリスティ初期の作品中で、今読んでも通用すると言う点ではピカイチではないでしょうか。

2011-09-11

ジョン・ディクスン・カー「火刑法廷〔新訳版〕」


これも大昔に旧訳で読んでいた作品です。正直、カーの作品で訳を改めて欲しいものは、もっと他にあるとは思いますが。

二階にある部屋から存在しない扉を通って出て行った殺人者、コンクリートで固められた霊廟から消えうせた遺体と、不可能興味は申し分ありません。そして、名探偵役が不在のためか怪奇趣味がいつにもまして強調されています。

黄金期におけるカーの作品らしく投入されているアイディアの量は豊富であり、なおかつ状況も複雑なのですが、この作品に限ってはそれらが指し示している方向がある程度揃っているために整理が良く、飲み込み易いのが美点でしょうか。フェル博士やヘンリー・メリヴェール卿なら、話があからさま過ぎてかえって胡散臭い、とか言いそうであります。そうしたカー独特のジャンルに対するメタな視点が、今作では特異な形で示されているということかな。

それにしても、いつものコミックリリーフを排してみると、かなり迫力のあるものになるのですね。持続するサスペンスといい、この作家の筆力を再認識しました。
ミステリとしては世評に違わぬ出来で、今さらどうこう言う事もないですか。再読してもその印象は変わりませんでした。脂の乗った時期のディクスン・カー、その狙いがずばり嵌った作品です。
(なお、腰巻には「従来は割愛されていた原著者による注釈も復活させた『完全版』」と書かれていますが、あまり期待はされぬように)

2011-09-08

Stackridge / Friendliness


スタックリッジのセカンドアルバム、1972年作。
ファースト制作の際に経費がかかりすぎたため、このアルバムは低予算を強いられたそうなのだけれど、全然こじんまりとした感じはないですね。
アレンジがこなれてきたこともあってか、音楽的な表現の幅はさらに広がっているにもかかわらず、全体としてのまとまりはファーストより良くなっている印象。本当、このフィドルやフルートはどんなタイプの曲にも合うんじゃないか、とすら思えます。

さらにサウンド面では、ドラムがタイトで迫力あるものになっていて。バンドのテーマ曲のような英国フォークインスト "Lummy Days" での重量感や、長尺ナンバー "Syracuse The Elephant" で聴ける雷鳴のようなフィルインなどに顕著なのだけれど、複雑な要素・構成をもつ曲でも頭でっかちにならず、スケール感と肉体性が感じられる演奏。

一方で、いかにも英国王道というポップソングにも磨きがかかり、特にバンドのメロウな面を引き受けているジェームス・ウォーレンの持ち味はこの時点で既に完成しているのではないかしら。ファルセットを使ったハーモニーはビートルズの「Abbey Road」B面を思わせる麗しさだし、"Amazingly Agnes" という曲では、時代を考えるとかなりしっかりとレゲエに取り組んでいるのに仕上がりはモダンポップという懐の深さで。

このバンドらしい奥行きと、ちょっと捻ったポップセンスのバランスが凄くいい。個人的にも彼らのアルバムではこれが一番好きかな。

2011-09-03

エラリー・クイーン「ローマ帽子の謎」


エラリー・クイーン、1929年発表のデビュー作が新訳で出ました。
僕はクイーンの長編は全て読んでいるのだけれど、特に国名シリーズとドルリー・レーン物四作は何度も読み返しているので、内容は大体わかっています。が、翻訳が新たになればまた手を出してしまいますな。でもって「うーん、やっぱりいいな」とか独りごちるわけです。それがファンというものですから。
また、飯城勇三氏の労作『エラリー・クイーン・パーフェクト・ガイド』でも「基本的に『訳は古くて読みにくいが誤訳の少ない創元』、『訳は新しくて読みやすいが誤訳の多い早川』と言えます」と述べられていて、つまりは訳を新たにする余地はあるわけです、ええ。

『ローマ帽子の謎』は先行者であるヴァン・ダインを意識しながらも、推理の密度においては違うレベルを示した作品、ということであります。ただ、物語としては最初にひとつ事件が起こって、後は尋問・調査と推理がずっと繰り返されるというものであり、更には警察の捜査過程が結構、念入りに描写されているので、現在の読者からすれば展開がまどろっこしいかもしれません。けれど、この作品が発表された時代には、このオーソドックスさこそが力あるスタイルだったのだ、と思えるだけの熱意が文章から伝わってきますし、いきいきとしたクイーン警視の活動が存分に読めるのはファンにとっては愉しいものなのですよ。

ミステリとしては初期クイーンによく見られる、多数にのぼる容疑者に対して手掛かりが非常に少ないという設定であり、そこを極めてシンプルな推理でもって犯人を絞り込んでいく手法も既に確立されています(余詰めの消去にやや粗い点が残りますが)。
また、犯行現場にあるものではなく、無いものが鍵となるという趣向は、クイーンならではのテイストが充分に感じられるものです。

旧創元の井上訳よりストレスなく、面白く読めました。次作『フランス白粉の謎』は来年刊行予定だそうで。うむ。
しかしヴァン・ダインの新訳全集はどうなったのだろう・・・。