2013-01-13

G.K. チェスタトン「ブラウン神父の無心」


ちくま文庫からの新訳ブラウン神父、その第一弾です。創元推理文庫版の中村保男訳と比べると、格段に文章が平易なものになったというのは疑いのないところ。

ブラウン神父譚というのはトリックだけ取り出せば馬鹿馬鹿しいものも多いし、警察の綿密な捜査が入ればすぐ解決しそうな事件もある。作品が成立しているのは、ありふれた日常を非現実的なものに見せていくような情景描写と、しばしば逆説的と形容される奇妙な筋道をたどる論理があってのこと。丸谷才一は「チェスタトンの魅力は、まづ何よりも彼の詩にあるのだ。彼のトリックも、彼の神学も、すべては彼の詩のために存在する」と書いていたけれど、僕にとっては幻想小説と探偵小説が結びついた奇想、であります。作者が情熱を傾注して作り上げた舞台背景をイメージできなければ、これら作品はバカミスにしか思えないだろう。
そして、創元推理文庫版を何度も繰り返し読んでいるため僕の印象にはバイアスが掛かっているかもしれませんが、今回の新訳では風景がまるで意思を持っているような、描写から醸される濃厚な雰囲気はちょっと弱くなった感じがします。
一方で良くなったな、と思ったのはユーモアですね。人を喰ったような設定の魅力やブラウン神父の意表を付く言動が素直に楽しめるようになった。鹿爪らしい顔などをせずに、にやにやしながら読めるものになったのは大きいのでは。
そう、チェスタトンを読む際、トリックや犯人のことばかり考えていては、あまりに勿体無いのだ。

特に、この第一作品集は印象的な場面が目白押し。夕暮れのベンチに腰掛けて話し合う二人の神父、月光に照らされた庭でのやりとり、教会の上からの眺望、「賢い人間は小石をどこに隠す?」。
そして「見えない人」(今回は「透明人間」というタイトルになっているけど)の結末「ブラウン神父は星空の下で、雪の降り積もった丘を殺人犯と一緒に何時間も歩きまわった。二人が何を話し合ったのかは、知るよしもない」
ロマンティックとはこういうことだ。

今更ながら恐ろしい密度と個性を誇る短編ばかりであって、探偵が批評家であることを越える宝石のような瞬間が詰まった本であります。

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