2013-09-29

笹沢左保「霧に溶ける」


莫大な賞金が懸かったミスコンテスト、その最終予選に残った美女たちを次々と事件が襲った。脅迫、交通事故、ついには変死まで。

1960年作、笹沢左保の第二長編です。
いかにも昭和らしい風俗を背景にして、ミス候補たちのギラギラした欲望が描かれます。また、警察官たちは夏の炎天下の下、汗水垂らしながら地道な捜査を続けるのですが、彼らの前に立ちはだかるのは、それら作品世界と似つかわしくないくらいの不可能興味溢れる謎です。

使われているトリックの数々はいかにも頭でっかちで生硬なもので。それが時代の一周したような今では、かえって新鮮に感じられました。特に密室の謎は、さまざまな可能性を潰した上での盲点を突いていて面白い。
そして全ての殺人トリックが解かれた後も、まだフーダニットの難問が残っているのだから、なんとも密度が濃い。

終盤に明らかになる事件全体の構図は、この作品が書かれた時代を考えるなら非常に先鋭的なもので、平成の本格ミステリとも共通するテイストすら感じました。手掛かりははっきりと出されているので、現代の読者ならば見通すことも可能でしょう。しかし、この悪魔的な犯罪計画と真犯人の安っぽいキャラクターの落差が凄いな。
また、終章になってようやく最後の1ピースが明らかにされ、より大きな絵が浮かんでくる構成も決まっています。

300ページちょっとの物語に大掛かりなトリックをこれでもか、とぶち込んだサーヴィス編。人情劇も盛られているのですが、読後感はちっとも重くならないのが好みでした。

2013-09-27

The Mamas & The Papas / The Mamas & The Papas (eponymous title)


Sundazedよりママズ&パパズのアルバムが二枚リイシューされました。ファースト「If You Can Believe Your Eyes And Ears」は二年前に同社よりモノミックスでCD化されていまして、今回出たものではセカンド「The Mamas & The Papas」がモノラル、サードの「Deliver」がステレオ仕様になっています。

アルバム「The Mamas & The Papas」は1966年リリース。
ファーストアルバムにおけるフォークロックのスタイルを踏襲しながら、よりしっかりと作りこまれた作品といえましょう。カバーが2曲と減り、その2曲も確固としたオリジナリティを感じさせる仕上がりです。
このアルバム制作中に一度、ミシェル・フィリップスがクビになり、後に戻ってくるわけですが、その間はジャン&ディーンのファンにはお馴染み、ジル・ギブソンがメンバーとして迎え入れられていました。そのせいで、完成したアルバムでは一体どちらがどの曲を歌っているのかが区別が付かない、という状態に。図らずも、音楽的にはミシェル・フィリップスは互換性のある要素だ、ということが明らかになってしまったわけで。
さて、最初に書いたように、このアルバムは今回、モノラルミックスが採用されています。ただ、ダンヒル保有のモノマスターは'70年代に全て廃棄されてしまったそうであって。ファースト「If You Can~」のリイシューCDについては英国で発見されたマスターテープ(*)が使われたのですが、その時点では、その他のアルバムのモノラルマスターは見つかっていなかったはずです。今回のものに関してはその辺りのインフォメーションが無いのですが、実際に聴いてみると流石にSundazed、ちゃんとしたものであって、「If You Can~」とも遜色は無いように思いました。
〈追記〉このアルバムのリイシューはアナログ盤起しではないか、という議論がありました



続いての「Deliver」は翌1967年のリリース。彼らのアルバムの中で、ジャケットはこれが一番美しいですね。
内容も良く、フォークロックにとどまらず、より洗練されたポップソング集になっています。全体として以前よりも落ち着いて、ソフトさが強まった感じで、特にインスト曲をも含むアルバム後半の流れが良いな。
今回使用されたステレオマスターは昨年の秋ごろに発見されたもののようで、シュリンクに貼られたステッカーにも「sourced from the original analog masters」と書かれています。

さて、こうなると当然、4枚目のアルバム「The Papas & The Mamas」のリイシューも期待したいのですが、Sundazedの手堅い仕事ぶりを見ていると、新たにマスターテープが発見されない限りは難しいのかな・・・。

2013-09-25

島田荘司「占星術殺人事件」


自分が古いのはよく解っている。しかし私は、「力」を解りやすく感じさせてくれる作が好きなのだ。

改訂完全版、と銘打たれたものが文庫化されていたので、『占星術殺人事件』を久しぶりに読みました。それまで乱歩や正史くらいしか知らなかった僕にとって、この作品は日本のミステリをちゃんと読み始めるきっかけになったものであります。
御手洗潔、石岡和己ともに若い。いちおうは職をもった社会人として描かれているし、作中に清張の作品が引かれているのも、今見ると新鮮。

今更ながら、この作品に投入されているアイディアやトリックは質量ともにすさまじいもの。
ただ、若い頃には時間を忘れ、何度も夢中で読み返したけれど、歳を取ってスレた今になってみると、冗長な感を受けたのも正直なところ。小説としての書き込みが謎解きの流れをしばしば寸断してしまっているように思うし、もっとはっきり言えば既に石岡君が迷ワトソン役であることが判っているため、彼の単独行のパートにあまり興味が湧かないのだ。
とはいえ、後半に置かれた「読者への挑戦」からは今でも、そこに込められた気迫を感じ取ることが出来たし、(メイントリックの説明が煩雑なのは仕方がないとして)謎解き全体としては意外なほど整理がいい。何より、後年の作品に感じるような強引さがなく、実に綺麗な収束を見せるのが心地良い。

この時期の作品は大部であったとしても、どこか軽みがあるように思う。出来うんぬんを超えたところで好ましさを覚えます。

2013-09-21

The Young Rascals / Collections


「やっぱりビートルズは初期がいいよね」なんてのと似たニュアンスで言うのだが、やっぱりラスカルズは頭に「ヤング」が付いてた時代のがいいねえ。
時にガレージ的な雰囲気も漂わせた、勢いに満ちた演奏が最高で、やや荒めながら迫力いっぱいのドラムは初期ならではの魅力であります。フィーリクス・カヴァリエーレ(*)のボーカルも、この時期にはなんともいえない甘さをたたえているのがたまらない。

「Collections」は1967年にリリースされた、彼らのセカンドアルバム。前年のファーストに収録された曲が殆どカバーで占められていたのに対して、こちらでは11曲中6曲がメンバーの手によるオリジナルであり、そのうちカヴァリエーレが作曲に絡んだ "What Is The Reason"、"(I've Been) Lonely Too Long"、"Come On Up" 及び "Love Is A Beautiful Thing" の4曲は全てキャッチーなロックンロール/ポップソングとしてかなりの出来になっています。
中では "Come On Up" がポップなだけでなく、荒々しい演奏とカヴァリエーレの色気のあるボーカルがミッチ・ライダー&ザ・デトロイト・ウィールズを思わせる格好良さ。また、この曲に続いて実際にデトロイト・ウィールズも取り上げていた "Too Many Fish In The Sea" を演っているのだが、こちらは一転してしなやかな仕上がりで、ここら辺の緩急の具合もいい。

さて、彼らはブルー・アイド・ソウル、などと形容されることが多いようだけれど、実のところカヴァリエーレ以外のリードではそういった感じは余りありません。このアルバムにおいてエディ・ブリガーティが気負わず、伸びやかな声を聴かせる曲はポピュラー然としたテイストがあり、カヴァリエーレの熱のこもったボーカルとの対比で、アルバム全体に程よい幅(ジョージィ・フェイム的、といったらよいか)をもたらしているように思います。
こうしたブリガーティの持ち味が、後に彼らの音楽性を拡げていく力の一つになるのだろうけど、それはまた別の話ということで。


2013-09-17

Raspberries / Side 3


ラズベリーズ、1973年リリースのサードアルバム。
これ以前の彼らの作品はエリック・カーメンの個性が突出し、凄く大雑把にいうと、アメリカ的にデフォルメされたポール・マッカートニー、というテイストのものでした(これは模倣したというわけではなく、資質に共通した部分があったことによるものだと思いますが)。それが、このアルバムではサウンドがぐっとハードに変化、感傷的なスロウは一曲もなく、バンドらしさを強調されたものになっているのです。曲の構成はシンプルになり、いかにもビートルズ的なアレンジも影を潜めています。

そして、そのことによって特にパワー・ポップ系の曲における音楽的なまとまりが獲得されました。以前なら例えば、彼らの最大のヒット曲である "Go All The Way" だとイントロはヘヴィでドライヴ感のあるギターリフなのに、唄が始まった途端に甘々のポップスになっているというような(それが個性でもあったわけなのだけれど)曲想の乖離がありましたが、それが今作では解消されています。
とりわけ、2つのシングル曲 "Tonight" と "Ecstasy" におけるキャッチーなハードポップとしての完成度には目を見張るものがあって。"Tonight" の方は楽曲・演奏・歌唱など何を取っても後期スモール・フェイシズそのものだし、"Ecstasy" のメロディはまるっきりマージービートなのだけれど、そのことがちゃんとラズベリーズとしての個性になっているというのが素晴らしい。

一方で、ライヴ感あるバンドサウンドにこだわった結果として、過去のアルバムにおいてはちょっと出来の落ちる楽曲でも多彩なアレンジに救われていたのものが、ここでは曲による出来不出来がはっきりとしてしまっていることは否めません。

そういったように、トータルでの曲の良さでは必ずしもベストとはいえませんが、このアルバム後にメンバーのうち二人が抜けたこともあって、バンドとしてのラズベリーズ、その到達点を示した作品ではありましょう。

2013-09-16

アガサ・クリスティー「愛国殺人」


怖くて仕方の無かった歯の治療を無事に終えたエルキュール・ポアロは、その日の午後を自宅でくつろいで過ごしていた。ジャップ主任警部から電話があるまでは。聞けば歯医者のモーリイ氏が自殺したというではないか。モーリイにはまるでそのような兆候が見られなかったことを思い返し、訝しむポアロ。だが、それは大きな事件の始まりに過ぎないようだった。

1940年発表の長編。原題は "One, Two, Buckle My Shoe" というマザー・グースの数え歌で、邦題は米版タイトルが元になっています。実際にこの作品はマザー・グース・ミステリなのですが、見立てによる犯罪が行なわれるのではなく、マザー・グースの歌詞にそってストーリーが展開する、というメタフィクションめいた趣向です。

はじまりは疑わしい状況で起こった自殺であって、いかにもクリスティが扱いそうな地味なもの。ところが矢継ぎ早に事件が続いた上に、背後には政治犯の暗躍が仄めかされ、状況は錯綜し始める。はて、これは謎解き小説というより冒険活劇路線の作品なのだろうか?

読み終えてみれば充分にトリッキーであり、その真相はこれまで読んできたクリスティ作品の中でも、最も奥行きと複雑さを持つもので、満足。できればもう少し伏線の量が欲しかったか。にしても、『ビッグ4』などの自作のイメージを誤導に使うという大技は(成功しているかどうかは別にして)凄いね。

社会的なテーマと謎解きを結びつけた意欲作でもありますが、いろいろ盛り込みすぎたせいか読み物としての仕上がりはちと荒めかな。
結末のキレはお見事。

2013-09-14

泡坂妻夫「夢の密室」


元版は1993年刊となる短編集。
収録されている作品は不可能興味を持つものばかりですが、必ずしもそれが主眼ではない、というのがいかにもこの作者らしい。


「石の棺」 古代の石棺の呪いによる事件という、怪奇趣味と不可能状況を絡めた一編なのだが、実にさらりと纏め上げられている。亜愛一郎ものにも共通するような、とぼけてユーモラスな語りが快い。

「蛇の棲処」 毒蛇を使った殺人というテーマといい、使われているトリックといい、一つ間違えば古臭くなりそうなもの。それが、微妙に現実感が希薄な文章によって読まされてしまう。まさに筆力によって成立しているミステリではないかしら。

「凶漢消失」 作者自身が語り手となって、奇妙な書物の謎が紹介される。すれっからしの読者を対象にしたのだろうか、人間消失そのものを誤導に用いた、大胆な一編。

「トリュフとトナカイ」 どこか夢の中を思わせる雰囲気のドタバタ劇と、その末に起こる車両消失事件。脱力するようなやりとりに裏があって、実にうまい。メイントリックはいかにも奇術的な発想ですね。

「ダッキーニ抄」 舞台は中世ヨーロッパ、魔女狩りが熾烈を極めた時代において、奇術に心を奪われた若者の物語。技術の研鑽がいつのまにか形而上のものへとずれていく趣向がいいですね。

「夢の密室」 密室の謎を扱いながら、夢とリンクさせることで奇妙な味わいが生まれている。この作者のファンなら思わずにやりとする名前も。


飄々とした語り口調の隅々に計算が感じられますな。作品の配列にも妙味があって、洒落に洒落た作品集です。

2013-09-08

倉阪鬼一郎「八王子七色面妖館密室不可能殺人」


著者、毎年恒例のバカミスです。
内容としては、七色の外観をもつ洋館を舞台にした七連続の不可解殺人、それが90ページほどのところまでで全て起ってしまう。そこから後はすぐに解決編という段取りです。

頭からいかにも不自然な描写が満載で、何か隠してますよ的うさん臭さが半端ない。
過去の作品ではそれなりに小説らしい体裁をつけていたと思うのだけれど、今作に至っては完全に開き直っているという感じだな、シリーズ読者だけを相手にしているのか? と思って読み進めていくと、やがてこれにはちゃんと理由があったということがわかる。

そして、事件の謎が解かれた後、これまでなら延々と作品世界にカタストロフが訪れるのだが、今回はちょっと違う。バカミスとして人間を描く、と言ったらよいか。終盤、テキストの解釈について判断が揺れてしまうところがいい。
更に今作では、現実に対する異議申し立てとしてのミステリの側面も強い。「プロローグ」の位置づけに意味がありそうで、あえて作中世界を閉じきらなかった、と考えることもできるか。また、最後の最後「さらにもう一つのエピローグ」などは、読んでいてちょっとフィリップ・K・ディックを想起しましたよ。

前作を読んだときは、そろそろマンネリかなという気もしたのだけれど、新境地でしょうか。これでまた目が離せなくなった。

2013-09-07

Jackie Wilson / Beautiful Day


ジャッキー・ウィルソンは勿論、押しも押されもしない大シンガーであります。ここ日本ではそれほど人気が無いのは、歌声にあまり湿り気や陰りが感じられないせいなのかな。

「Beautiful Day」はブランズウィックから出された1972年のアルバム。
制作はカール・デイヴィスやソニー・サンダースにウィリー・ヘンダーソンと、かのレーベルではお馴染みのスタッフなのだけれど、目を引くのが全曲の作曲クレジットに名を連ねているジェフリー・ペリー。この人自身の音楽性はマーヴィン・ゲイ・フォロワーというところらしく、そのせいかアルバム全体が都会的な甘さを湛えたメロウなものになっています。ベースの動きなどはいかにもニューソウルっぽい。ただ、やはりシカゴ制作なのでサウンド自体はむしろ乾いた仕上がりかな。
そして、そうした新しい音に鼓舞されたように、ジャッキー・ウィルソンの歌唱もここでは若々しく響いています。どの曲をとっても実に気持ちが良さそうだ。

収録曲ではタイトルになっている "Beautiful Day" や "Pretty Little Angel Eyes" の伸びやかさは申し分ないし、"Let's Love Again" はなるほど確かに山下達郎丸かじりといった感じ。少しバーバラ・アクリンの "Am I The Same Girl?" を思わせる "It's All Over" もいいな。
中でも特に気に入ったのは "Because Of You" というミディアム。少し緊張感をもって抑えた出だしから、ウィルソンの「なぜなら俺たちには愛があるのさ」という熱っぽいフレーズで一気に開放されていく瞬間が凄く格好いい。

時代のサウンドの中で、ジャッキー・ウィルソンというスターの持つスケール、それを存分に生かすことに成功していると思います。華やかで明るさに満ちたアルバムです。

2013-09-01

The Pale Fountains / ...From Across The Kitchen Table


ペイル・ファウンテンズ、1985年リリースのセカンド・アルバム。

前年に出されたデビュー盤「Pacific Street」があれが出来る、これもやりたい、といった感じにさまざまなタイプのポップソングを詰め込んだ作品であったのに対して、このアルバムでは、より骨太なギターポップに方向性を絞り込んだ、いってみればプロフェッショナルのバンドらしさを強調したものになっている。ただ、「Pacific Street」には曲の並びで聴かせるような面もあったと思うのだが、こちらはトータルではちょっと単調になってしまった感も。

実は、昔はあまりこのアルバムが好きではなかった。それは曲やアレンジ以前に、サウンドや深いエコー処理に因るところが大で。ダイナミックになった演奏とあいまって、なんだかニュアンスに乏しい大味なものに感じられたのだ。プロデューサーを務めたイアン・ブロウディのせいなのか何なのか、ドラムの音など平板で、もう少しどうにかならなかったか。

個人的にはそういった不満があるけれど、繊細さよりも感情の高まりを優先したような今作、改めて聴き直してみれば楽曲そのものの出来は「Pacific Street」におけるものと全く遜色がないですね。表現がダイレクトになった分、いかにもリヴァプール産らしい甘酸っぱさがだだ漏れ。
マイケル・ヘッドのボーカルがひとつリミッターを外したように情緒的になっているせいか、ネオアコというよりはロカビリーやオールディーズっぽく聴こえる瞬間もあるね。