2015-08-31

マーガレット・ミラー「まるで天使のような」


文無しになったばくち打ち、ジョー・クインはヒッチハイクの途中で降ろされた土地にある、小さな宗教施設で施しを受ける。そこでクインの世話をしてくれたシスターは、彼が探偵免許を持つことを知って、ある人物についての調査を依頼する。簡単な仕事に充分以上の報酬、軽い気持ちで仕事を請け負ったクイン。だが、それは未解決のままになっている事件を掘り返すとば口であった。


ミラーのこれはやはり代表作のひとつでしょうか。以前は早川からでしたが、創元から新訳版が出たので久しぶりに再読。
1962年発表作品で、ロス・マクドナルドなら『縞模様の霊柩車』の頃だ。

主人公であるジョー・クインはふたこと目には皮肉な軽口を叩く、シビアな状況にもユーモアを見出そうというキャラクター。依頼された範囲の仕事は片付けたものの、疑問点を放ってはおけず、クインは関係者たちの過去を調査し始める。どこにでもありそうな港町と、異様な宗教施設を行き来しながら。
やがて、終わったように思われていた事件は、クインの行動が触媒になったかのように再び動き出す。

私立探偵小説のように展開しながら、複雑な謎解きの妙味が楽しめる。間に挟まれるドラマも印象的で、クインの成長劇としても読める。
だが、そんな雰囲気は、終盤に事件の真犯人が登場してから一変。
ひとがひとならぬものへと変貌していく強烈な不安感。ここからが、まさしくマーガレット・ミラーだ。

周到に伏線が張り巡らされているため、真相を一足先に見通すことも可能だろう。しかし、用意されているのは意外性だけではない。
すべての時間が停止するような結末。ここより先には何もない。パズルとスリルを止揚しながら、ミステリ的な問題を越えた異様なものが噴出する。

凄いな。唯一にして極上。

2015-08-29

The Isley Brothers / The RCA Victor & T-Neck Album Masters (1959-1983)


アイズリー・ブラザーズのボックスセット。内容は1959年の「Shout!」と、1969~83年の間にT-Neckから出されたアルバムが全部入り。ボーナス・トラックもトータルで80曲以上に及びますが、多くはシングル・ヴァージョン等のミックス違いかな。
23枚組です。にじゅうさん。多すぎて、あまりしっかりとは聴き切れないだろうに。買う前には、結構持っているのも多いしなあ、そういうのは聴かなくても既に聴いた気になってしまいがちなんだよなあ、と迷っていたのだが、全収録作品が新規リマスターされているということなので結局入手。ほんと、いいカモだよな。
実際にいくつか聴いてみたところ、音圧はほどほどに高いものの耳当たり良く、これはちゃんとしたマスタリングだぞ、うむ。



さて、本ボックスの目玉となっているのは「Wild In Woodstock」という、1980年のライヴ盤です。ライヴといっても彼らがずっとレコーディングに使用してきたベアズヴィル・スタジオで行なった演奏に歓声をかぶせた、ちょっと偽っぽいライヴ。制作はしたものの、レコード会社の却下にあってお蔵入りになっていました。後年、その収録曲のうちいくつかはボーナス・トラックなどの形で日の目を見ることになりましたが、今回のものは新たにミックスがやり直され、歓声も入っていません。
オープニングに「3+3」(1973年)からの "That Lady" を格好良く決めると、続いて当時の最新アルバム「Go All The Way」から3曲。その後もいわゆる「3+3」体制以降の曲が演奏されているのですが、「Go For Your Guns」からが一番多くて、逆にその前作である「Harvest For The World」の曲は無いというのが興味深い。
観客もいないスタジオ・ライヴなので、アルバム全体とするとメリハリに欠けるところがありますし、プロダクションも簡素なのですが、演奏のクリアさ、生々しさがそれを補っていると思います。特にファンク・ナンバーの迫力はなかなかのもの。スロウでは "Summer Breeze" が長尺になっているのがライヴならではか。



いやあ、やっぱりアイズリーはいいですな。急がず慌てず、一枚一枚ちゃんと聴いていこうと思います。


2015-08-26

エラリイ・クイーン「九尾の猫〔新訳版〕」


わが同胞Qよ、おまえはおしまいだ。あとは復活するしかない。〈猫〉を追うために。
つぎは何が起こるか。
おまえは何をするか。
どこを探すか。
どうやって探すか。

1949年に発表されたシリアル・キラーもの。物語が始まった時点ですでに5人が犠牲になっている。そして、被害者たちの間にはまるで接点が見当たらず、それゆえにニューヨーク中の誰が〈猫〉と呼ばれる犯人であってもおかしくはない。
通常のように限られた容疑者の動機と機会を捜査するという手順が踏めず、全くの手詰まりのまま被害者は増え続ける。


クイーンのファンにとってはとても面白い作品だ。こんな発想のミッシング・リンクはそうないだろう。また、エラリイがそれぞれ姉を失った二人の男女に下した最初の指令なども、いかにもクイーンらしい。
『災厄の町』以降の、探偵小説を通してアメリカ社会を描く、という面でも読み応えがある。さまざまな国から移住してきた被害者たちの家系が事細かに語られ、人種や文化が入り混じる場所であることが強調されているようだ。

一方で、謎解きの切れ味を期待すると、それほどではない。決定的な手掛かりにクイーン親子が行き当たるのは、偶然のきっかけによるものだ。
また、前作である『十日間の不思議』では真犯人の奸計にエラリイが陥ってしまったのだが、この『九尾の猫』における捩れは、そもそも初歩的な捜査上のミスによるものだ。
さらにいうと、事件解決のためだけなら、わざわざエラリイは飛行機に乗ってウィーンまで行く必要はなかったはずだ。探偵のアイデンティティを危機にさらすことに目的があるように見えてしまう。
もっともこんなことが気になるのは、僕がこの作品を何度も読んでいて、素直に楽しめなくなっているからであって。時代を反映して作風を変容させながらも、クイーンはパズルから逃げなかった。『九尾の猫』はその偉大でいびつなひとつの達成だ。


作者クイーンとしてのテンションの高さ、それが今回読み直して一番の魅力だった。
たとえば路地裏の逮捕劇――。

またひとつ星が出た。
まわりの建物の裏窓はどれも煌々と明るく、あけ放たれていた。ずいぶんにぎやかだ。いくつもの頭と肩がそこにある。特等席だ。そう、闘技場。闘犬場。お楽しみ。見ることはけっしてかなわなくても、見たいと望むのはかまうまい? ニューヨークでは、だれの目にもそうした望みが宿っている。劣化していく古い建物。歩道の掘削。口をあけたマンホール。交通事故。どうした? 何があった? だれがやられた? ギャングか? あっちで何をやってる?
たいしたことではない。

2015-08-23

Carl Hall / You Don't Know Nothing About Love


カール・ホールはハイテナーのシンガーであり、その歌声はときに女性と聞きまがう程。しかしながらゴスペル仕込みのディープさと、抜群の切れ味も併せ持つ。
このコンピレーションは彼が1967年から72年に残した録音集で、3枚のシングルと13の未発表トラックが収録されている。プロデュースは全てジェリー・ラガヴォイだ。

シングル曲のうちではタイトルにもなっている、1967年に出された "You Don't Know Nothing About Love" というスロウが絶品。乾いたスネアに太く重いベース、リードとリズムの間を自在に動くギター。そしてボーカルは感情の高まりを感じさせながらも絶妙にコントロール、緊張感を湛えて間然とすることがない。これを聴けば、このシンガーは誰なんだ、もっと他のもないのか、という気になってしまってもおかしくない。
また、そのB面であった "Mean It Baby" という一転してポップなミディアムも、軽やかさの中に哀愁漂う出来で好みであります。
その後の2枚のシングルではファンキーな傾向が強まっていて、演奏にあおられるように非常にテンションの高いボーカルが聴けますが、ときに余裕が無いように感じられてしまう瞬間もあるかな。

未発表のものもそこそこいいのが揃っていて。'67年の "Just Like I Told You" はけれん味のないノーザンで気持ちがいいし、"Dance Dance Dance" と "What Kind Of Fool Am I?" はピアノだけをバックにしたシンプルなデモですが、余計な力みがなく伸びやかな歌唱を楽しめる。
'71年に録音された曲では、"Sometime I Do" がスワンプ・ロックに近いようなミディアムで、なかなか格好いい。もっとしっかり仕上げられていれば良かったのに、とは思うが。ゴスペル・ポップという趣の "It's Been Such A Long Way Home" も悪くない。

ジェリー・ラガヴォイの音作りはディープ・ソウルにこだわることなく、ポップな目配りも感じさせるもので、かえって気合の入ったボーカルが際立つ仕上がり。ただ、個人的にはもっとオーソドックスなソウル・バラードをたくさん聴いてみたかった、という気はします。

2015-08-16

The Lovin' Spoonful / Do You Believe In Magic


ラヴィン・スプーンフルのデビュー盤(1965年)なんだけど。
最近出たリマスターを聴いていて、あれ、こんなだったかなあ、と思った。記憶の中にあるのは、もっと荒削りでブルース色が強いイメージだったのね。実際の演奏はあんまりブルースじゃないなあ。
"Blues In The Bottle" や "Fishin' Blues" というタイトルでもどっちかというとカントリー風。"Sportin' Life" なんかはスロウ・ブルースの形態を取っているけれど、手触りとしてはグリニッチ・ヴィレッジの仲間であるティム・ハーディンに近い。"Night Owl Blues" が一番それっぽいけど、インストなんだよな。
つまりはジャグ・バンド・ミュージックのフィルターが通っているということか。いや、それ以上にラヴィン・スプーンフルというバンドの持ち味というか、パーソナリティの反映なのかもしれない。

このアルバムは半分以上がカバー曲で構成されている。それはマテリアルの弱さにつながっているのだけど、まだジョン・セバスチャンの個性だけが突出してはいない、ということでもある。ジョー・バトラーのスムースな歌声や、ザル・ヤノフスキーの破天荒さが印象的だ。
あと、いくつかの曲で聴かれるリードギターの深いリバーブは、彼らなりのブリテイッュ・ビートの解釈のようでもある。

グッド・タイム・ミュージック、とはデビュー前にエレクトラ・レコードで録音した曲のタイトルであり、このアルバムの裏面にも大きく書かれているフレーズだ。彼らの音楽に対するスタンス、そのマニフェストか。
オプティミズムが音楽そのものに力を与えているように思う。

2015-08-15

アガサ・クリスティー「パディントン発4時50分」


ロンドンで買い物をした帰り、ミセス・マギリカディは列車の中で居眠りをしていた。ふと、目を覚ますと並走する列車があり、その中では今まさに殺人が行われていたのだ。マギリカディは自分の目撃したものを、友人であるミス・マープルに話すのだが・・・・・・。


1957年発表作。『予告殺人』にも出ていたクラドック警部が登場。『牧師館の殺人』のグリゼルダもちょこっと顔を出す。
導入部分が非常に魅力的であって、ここから「誰も自分が殺人を見たことを信じてくれない」式のスリラーにも仕立て上げられそうだ。

それはともかく。マープルものの初期短編に、甥で作家のレイモンドという若者が出てきました。それが、この『パディントン発4時50分』ではレイモンドの次男が英国鉄道に勤めていると書かれていて。いや、時間の流れを感じさせます。
実際、マープルがもはや年老いて自分ではそれほど動きまわれないことが強調されていまして、実地調査にはルーシーという女性を雇うことに。ルーシーは死体の痕跡を探すべく、線路脇の敷地を所有するクラッケンソープ家にお手伝いとして潜入。
プロットはしっかりしているし、キャラクターも面白く、興味を切らさないまま読んでいけます。フーダニットとしての謎とともに、殺されたのは誰だったのかが不明なまま物語は終盤へ。

犯人が判明する場面はとても印象的ですし、真相もそこそこ奥行きのあるもの。なのだが、推理の手掛かりがあまりにない。マープルものはもともとそういう傾向があるけれど、この作品はちょっと極端。

ミステリとしてはちょっと詰めが甘いところが残りますが、面白く読めたのは確か。

2015-08-14

ジャック・カーリイ「髑髏の檻」


インターネットの宝探しサイトに現れた奇妙な記号、それは異様な暴行を受けた死体を示していた。猟奇犯罪を扱う部署に属するカーソン・ライダー刑事は、休暇先の地であるにもかかわらず、連続殺人事件に巻き込まれていく。


米本国では2010年に出た、シリーズ7作目です。6作目は事情あってか翻訳がスキップされています。本国ではほぼ年一冊ペースで刊行されているのに対して、邦訳が出るのは2年に一回くらいなので、今後もこういう風なことはあるかもね。

それはともかく、相変わらずうまいし、面白い。サイコサスペンス的な重さ・暗さはほどほどに、適度なユーモアを交えた語りが快調です。大小のツイストにドライヴさせられて、一切だれることもなく物語は進む。400ページに満たない、というサイズも好みであって。細部はしっかりしているけれど、プロット上では大きく省略が効かせられているのだな。
今回は相棒であるハリー・ノーチラスの出番が少ないが残念ですが、その分ジェレミー兄さんが大活躍しています。登場シーンが実に見事ですな。しかし、ジェレミーってハンニバル・レクターなんだろうけど、麻耶雄嵩作品の探偵みたいでもあるな。

「これは」僕はその絵を指さして言った。「ホイッパーウィルヨタカですね?」
カーソンが老嬢が紙に描いた鳥の名を当ててみせるシーン。彼にもまた、他人の精神に同調する能力が潜んでいるようであるよね。

ミステリとしては捜査小説としての要素がこれまでで一番強いのではないかな。異常な論理がベースになっていることもあって、読者にとっての推理の余地はあまり無いのですが、浮かび上がってくる予想外な構図や伏線の数々はさすが。
ただ、展開が読めない分、物語の焦点がいまひとつはっきりしない気がするんだよなあ。シリーズのファンならきっと楽しめるとは思いますが、ベストの出来では無いと思う。
あと、邦題の付け方は難しいね。

2015-08-11

セバスチアン・ジャプリゾ「新車のなかの女」


パリの広告代理店に勤めるダニーは気まぐれに地中海への旅を思い立った。ところが、たまたま立ち寄った場所で何者かに危害を加えられてしまう。さらには初めての旅程のはずなのに、出会う人たちの多くが自分を知っているというのだ。不安が高まるうち、ついには事件が。


『シンデレラの罠』の次に出された作品だそうで。新訳です。
物語はヒロインのダニーによる一人称ではじまります。ダニーは精神的に不安定な面があり、過去には暗い秘密も隠れているようで、いかにも心理スリラーらしい信用しきれない語り手です。彼女は不可解な事態に何度も出くわすうちに、自身の正気を疑いはじめます。
やがて事件に巻き込まれるのですが、果たしてダニーは自分がしたことを覚えていないのか、それとも何者かの罠にはめられているのか。それが計画された罠であったとしても、そもそもダニーが旅に出ることは、誰も前もって予想することはできなかったのだが(連城三紀彦は解説の中で、この謎を雪の密室になぞらえています)。

ダニーが旅の途中で出会う人々が印象的につくられていて、特にそのなかの一人《にっこり歯磨き》が現実にはいそうにない男前なキャラクター。彼に助けられることで、自らの運命から逃避的だったダニーが事件に立ち向かうことを決心。それまで悪夢のなかを彷徨うようなスリラーだったものが、明晰な謎解き小説としての顔をも見せ始めます。

収束部分が長くて少々だれるのですが、読み終えてみれば意外なくらいしっかりと構築されたミステリでした。
人間の醜悪な面も見せながら、結末は爽やか。ここらも洒落てますね。

そうそう、背表紙はともかく、扉部分の内容紹介は先に見ないで読んだほうがいいかな。

2015-08-08

The Lovin' Spoonful / Hums of The Lovin’ Spoonful


ラヴィン・スプーンフルのアルバムのうち3枚が、Sundazedよりモノラル・ミックスでリイシューされました。これらアルバムのステレオ・ミックスには、'60年代中期という時代を反映してか、雑に作られたようなバランスの悪い曲も多いので、今回のモノラル盤は非常にありがたい。
実際に聴いてみると、自然な響きが大事にされているようで、これは生理的に気持ちがいいマスタリングです。特にジャグ・バンド風と形容されるようなタイプの曲の仕上がりが素晴らしいですね。いろんな音が鳴っているけれどごちゃごちゃせず、据わりがいい。


ジョン・セバスチャンが抜けるまでの彼らのアルバムはサントラ仕事も含めて、どれも好きなのだけど。どれかひとつというと三枚目の「Hums of The Lovin’ Spoonful」(1966年)が一番、曲の粒が揃っているかな。サウンド面でも初期からの親しみやすさ、温かさを残しながら、スタジオでのトリックを試してみたという感じで、ヴァラエティに富んでいます。
特にアナログB面に当たる後半は強力無比ですね。イマジネイティヴなアレンジが楽しい "Rain On The Roof"、アンニュイでありながらキャッチーな "Coconut Grove"、カントリーポップの "Nashville Cats"、パワフルなロックンロール "4 Eyes" ときて、とどめはナンバーワンヒットの "Summer In The City" とくるのだからたまらない。

この後のアルバム「You're A Big Boy Now」と「Everything Playing」もモノラルでも出ていたようなので、それらも聴きたくなってきましたよ。Sundazedには期待したいな。

2015-08-07

Sergio Mendes & Brasil '66 / Herb Alpert Presents


このところ初期のブラジル66をよく聴いていまして。
一枚目のアルバム「Herb Alpert Presents Sergio Mendes & Brasil '66」(1966年)が特にいいすね、勢いがあって。華やかなのはもちろんなんだけど、この時期にはまだ演奏にジャズボサとしての形が残っていて、ピアノはテンション多目で気持ちいい。音全体からもダイナミズムというか肉体性のようなものが伝わってくる。

次の年に出された「Equinox」は前作の延長線にありながらも、よりソフトサウンディングなつくりに。軽やかなスキャットやコーラスが気持ちよく、サンシャイン・ポップ的な楽しさを感じます。
中でも "Night And Day" の洒落た仕上がりには感心させられますが、ボサノヴァのスタイルがすでに足枷というか、不必要に感じられる面もあるかな。

で、三枚目の「Look Around」というのになると、まあこのアルバムが一番セールスが良かったそうなんだけれど、ジャズっ気は抜けているしリズムの鳴りも控えめ。さらには、曲によってはストリングスが入れられるようになるのだが、個人的には下世話に過ぎるように感じてそれらはあまり趣味ではない。まあ、大人なポップスとして洗練された形ではあるのでしょう。
アレンジの冴えは素晴らしく、ビートルズのカバー "With A Little Help From My Friends" なんて、実に意外な導入でありますよね(もっとも「キーを外して歌ったら」セルメンは絶対許さないだろうが)。

フォロワーはあまただけれど、本家はやっぱりよく出来ているわ。斬新でアイディアにあふれたアレンジもさることながら一番の違いは音の手触りであって、つまりはハリウッド・ポップスということなんだろうな。パーカッションがクリアでありながらも生々しくは響いていないというのはひとつのポイントだと思う。

2015-08-02

カーター・ディクスン「ユダの窓」


これまた古典中の古典、以前は早川から出ていましたが、今回は創元推理文庫から。どこにも新訳とは書かれていないけれど、新訳ですね。
ダグラス・G・グリーンによる序文が付いていまして。ヘンリ・メルヴェール卿のキャラクターについて「本質的にとてもアメリカ人らしい」という指摘にはなるほど、と。

さて、本作品の主眼は密室内で死体とともに発見された青年の容疑を晴らすこと、であります。そのほとんどが法廷の場で展開するのだが、探偵小説はこんな風にも物語ることができる(しかも、面白く)のだ、というカーの心意気を感じます。実際、事件と直接関係のない要素が省略されているため、ミステリとしての純度は相当に高いのですね。
メイントリックはシンプルにして理解しやすいものですが、そこに行き着くまでのディスカッションというかディベートが愉しい。意外な新事実がひとつひとつ浮かび上がっていくことで、密室の手掛かりはもちろんですが、被疑者が巻き込まれた複雑な奸計が少しずつ明らかになり、裁判の成り行きが大きく変わっていく醍醐味。また、H・M卿がある証人に対して用いた引っ掛けも気が利いている。
真犯人は不明なのに、これほどフーダニットとしての興味を棚上げにしたままで、ドラマを作り上げられたミステリはそうはないんじゃないだろうか。
再読ですが、抜群に面白かったです。

巻末には昭和の末期に行われたという、瀬戸川猛資ら4人がカーの魅力を語る鼎談が収録されています。内容としては松田道弘による「新カー問答」を踏まえたような、ストーリーテラーとしてのカーに着目したような感じかな。すごく愉しそうに語るんだよな、みんな。駄目なところも含めてカーが好きだ、というのが伝わってくる。

つぎは『髑髏城』ですかね。