2017-01-29

有栖川有栖「狩人の悪夢」


「まだ駆け出しに近いミステリ作家」有栖川有栖(34)は、対談をした売れっ子ホラー作家の自宅に招かれる。聞けば、そこで寝ると必ず悪夢を見るという部屋があるというのだが・・・・・・。


作家アリスものの新作はきびきびとしたフーダニットであります。
犯人はこともあろうに弓矢の矢を使って殺人を犯し、その上で被害者の体の一部を切断して持ち去った。有力な容疑者が浮かび上がるものの、その足取りには不可解な点が。そして更なる意外な展開も、という風にいかにもミステリ的な趣向が盛られていて、目がくらまされる。そのせいか、容疑者たちのアリバイが検討されるのはなんと物語の3分の2ほどを過ぎてからである。

「凶器の弓矢。切られた右手首と左手首。血染めの手形。落雷で倒れて道をふさいだ大木。空き家の地下収納庫で見つかった死体。大音量のベートーヴェン。渡瀬信也の過去。沖田依子が捜していた何か」
材料は多いがそれらがどう組みあげられるのか。
終盤に至ってようやく重要な証拠品の数々が発見されるが、それらにも奇妙なところがあって、一向に全体像が見えてこない。

解決は実に予想外なタイミングでやってくる。このあたりの呼吸はいつもながら巧い。弛緩と緊張というか。
全てのピースが収まるべきところに収まる、その筋道も実にねちっこく、かつ意外な手掛かりが楽しい。中でも切断された手首を巡るくだりはまさにクイーン流で、『エジプト十字架の謎』中盤の推理を髣髴させます。

弛みなく構成され、力のこもったパズル・ストーリーでした。満足です。

2017-01-28

アルフレッド・ベスター「破壊された男」


1953年発表になる、ベスターの長編第一作。

時は24世紀、テレパシー能力のあるエスパーが社会のなかで重用されるようになっていた。そして、意識を監視することが可能になったことから、多くの犯罪が未然に阻止され、謀殺にいたってはもう79年間も成功していなかった。
そんな世界で、巨大企業の社長、ベン・ライクはライバル会社の社長の殺害を決意する。

このベン・ライクというのは非エスパーであるが野心家で気が荒く、なおかつ策士とあって、凄く魅力的なアンチ・ヒーローです。彼は自分の権力を存分に利用しながらエスパーたちの目を掻い潜り、完全犯罪を目指します。
一方で警察側の中心人物となるのが、リンカーン・パウエルという一級エスパー。エスパーにも階級があって、三級では単に口に言葉を出さずに会話をできるレベルですが、一級ともなると他人の意識の奥底、本人の気づいていないところまで読み取ることができる。パウエルはそういった能力を持つごく一部のエリートの一人。もちろん有能な警官でありますが、テンションの高いベン・ライクとは対照的にどこか飄々としてユーモアを解すところがいい。

いきいきと描かれたキャラクターの魅力、スピード感のある展開に、互いに相手の裏を掻こうとする戦略などでぐいぐいと引っ張られ、一切のだれ場がなく進んでいきます。いわば文明の発達した未来(あるいは異世界)を舞台にしたミステリ、アクションの面白さなのですが、これが終盤になるとひとつ次元の違うところに入っていきます。SFとしての本領を見せつつ、それまで放り出されていた謎も解かれていく。
そして結末で明らかになる破壊という言葉の意味。

古典らしい力強さを持ちながら、現代でも十二分に通用するセンスが感じられるエンターテイメント作品でございました。

2017-01-15

アガサ・クリスティー「フランクフルトへの乗客」


1970年発表のノンシリーズ長編。
クリスティ自身による長めの前書きがついていて、大雑把に要約するとキャラクターは純然たる架空のものだが物語の背景は現実の反映だ、ということなのだけれど。これは作品を楽しむ上で逆効果になっているのでは。何といわれようが登場人物の主張イコール作者の思想、と取ってしまう読者は少なからずいる(評論家にも安易に結びつける人は多い)。実のところ、あまりに荒唐無稽な作品であることを自覚したクリスティがあらかじめ予防線を張っているに過ぎないと思うのだ。

作品のほうは、結論からいうとB級パルプスリラーといったところ。
はじめのうちは謀略小説のように展開します。クリスティのそれまでのスリラーと比べても乱暴というか、どんどん広げた風呂敷が大きくなっていく。これ、校正したのかな? と感じるような辻褄の合わない描写もあります。また、キャラクターが薄っぺらなのは戯画的な面を強調するためだとは思うのだけれど、ユーモア味があまりないのが痛い。かろうじて葉巻好きの大佐の描写に見られるくらいか。
後半になると、物語はまったく予想もつかない方向へ豪快にシフトしていきます。

まあ、〈コミック・オペラ〉という副題が付いている作品なのです。シリアスに受け取って読むものではありません、これは。舞台化されたものをイメージすれば、相当に強引な展開にも納得がいくのでは(病弱な博士がぐんぐん元気になるところなど、本来は笑い所でしょう)。
ミステリとしては大したことはないですが、エラリー・クイーンのファンなら主人公のおばによる操り、という仕掛けは(いささかあからさま過ぎますが)見逃せないか。

2017-01-13

フランシス・M・ネヴィンズ「エラリー・クイーン 推理の芸術」


なんというか、労作ですね。クイーンの作品を全て読んできたひとにとっては、値段なりの価値はあります。

まず作品ひとつひとつの美点・欠点やアイディアのリサイクルに対する指摘がいちいち明確でうなずける。しかし、『三角形の第四辺』などくそみそだな。
ライツヴィルものに多く見られる欠点として挙げられているのが、実在感ある人々や社会の描写と、現実離れした動機及びロジックの喰い合わせの悪さ。我が国の現代ミステリはこれがさらに行き過ぎているようで、個人的にはあまり読む気がしなくなったのだ。

1930年代の終わりから1948年までの間、クイーンはラジオ・ドラマの脚本を手がけていて、それに関する文章には100ページ以上割かれている。それだけ、この時期がクイーンのキャリアの上で非常に重要であったということなのだが、予想以上に多かった。全エピソードの内容について触れていて、未知のものが多いとなると読むのがなかなかしんどい。
しかし、週一作のペースで謎解きの脚本をひねり出すというのは恐ろしく疲弊したに違いない。1940年代半ばにフレデリック・ダネイはプロット制作から降り、あとはアントニー・バウチャーらに引き継がれることとなった。
また、後に小説化された「クリスマスと人形」(ネヴィンズは『犯罪カレンダー』の作品中でも「文句なしに最高のもの」と絶賛している)はマンフレッド・リーがダネイのプロット無しに単独で書いたものらしい。

そのほか、気になったところをいくつか拾ってみると。
・『十日間の不思議』が発表された頃、アントニー・バウチャーがダネイ宅を訪ねたところ、そこにはジョン・ディクスン・カーもいたという。カーは『十日間~』にどのような感想を持ったのか気になる。なお、本書でダネイの親友として挙げられているのはカーとダシール・ハメットです。
・『クイーンのフルハウス』や『犯罪実験室』収録作のうちいくつかはリーがスランプの時期に発表されたものであるゆえ、ダネイのプロットを小説化したのは誰かほかの人物らしい。短編の代作については考えてなかったなあ。
・1960年代に出版されたペーパーバック・オリジナルはリーの財政的な問題を救うためのもので、一応はリーの手は加わっているが、ダネイはまったく読もうとはしなかった。また、英国ではハードカバーで、真正のクイーン作品と同じ黄色いカバーを付けて出されていた。
・リーが執筆に復帰したのは長編『顔』(1967)からであり、ダネイの梗概をもとにアヴラム・デイヴィッドスンが小説化した『真鍮の家』(1968)はそれ以前に書かれたものだと推測されている。
・ホルヘ・ルイス・ボルヘスの作品が初めて英語圏に紹介されたのは《エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン》。

本書の最後の章「付録2 フレッド・ダネイと働いて遊んで」では著者、ネヴィンズとダネイの個人的なかかわりについて書かれているけれど、《EQMM》に寄稿された作品に対してダネイが具体的にどのようなアドヴァイスや改良を施していたかを知ることもできる。
また、この章ではダネイからネヴィンズへの私信の抜粋がたくさん載せられていて、その文面からひととなりが伝わってきます。
「マニーと私はいつも、Qのヒゲを二本描いてきた。特に、サインをするときにはね。二本のヒゲは、二人の人間が合作していることを示しているのだよ」

2017-01-04

Roger Nichols Treasury


ロジャー・ニコルズのデモ、CM、TV音楽などが2CDに69曲とぱんぱんに入った日本企画盤。元になる音源は400トラックにも及んだそうですが、コーディネイターである濱田高志氏は「最初で最後のデモ&CM集」と書いています。
歌っているのはロジャー本人だったり、セッションシンガーであったりとさまざま。


ディスク1は商業的な楽曲のデモ集。
曲は年代順に並んでいて、最初の10曲が1967、68年のもの。スモール・サークル・オブ・フレンズによるものが3曲あって、これらにはやはり特別なマジックがあるように感じてしまう。また、ロジャーがマレイ・マクレオド、スモーキー・ロバーズというパレード組と一緒に歌っているものがひとつあって、これもよろしいですなあ。これら4曲だけでも元を取った気になった。
また、ハーブ・アルパートのために書かれたというインストが4曲あるのだけど、これらは本当にデモなのだろうか。まださほど売れていないソングライターのデモ程度に管楽器を3本も入れたりしていたら金がかかって仕方がないと思うんだが。曲によっては相当にうまいドラムが入っていて、これらはスタジオ・リハーサルか何かが本当のところでは。

続いてはポール・ウィリアムズが歌うものが8曲。内容は昔、オフィシャルでも出ていたデモンストレーション用アルバム「We've Only Just Begun: Composed By Roger Nichols & Paul Williams」に近い。
このひとのボーカルは、じめっとしているようで昔はあまり好きではなかったのだけれど、今ではそうでもない。むしろ、ニコルズ=ウィリアムズによる曲については誰よりも丁寧に歌っているようで、一番しっくりくる。

残りは1972~83年のものが12曲。いろんなシンガーのうちでもマレイ・マクレオドの声の相性が抜群ですね。また、ジェリー・ゴーフィンとの共作曲があったのにちょっと驚いてしまった。

ところで、これらのうち'70年代以降のいくつかの曲は最近になってからミックスやオーバーダブがなされているのではないかな。エコーや音の感触が違いすぎるもの。特に18~20曲目は安い感じがしてちょっと興醒めです。

出版社によるデモンストレーション・レコード
「We've Only Just Begun」

ディスク2の前半はCM曲集。30秒ほどの短いものもあれば2分くらいあって独立した曲として成立しているものも。インスト曲もありますが、どれも一瞬耳を捉えるメロディが光ります。また、大手の会社の仕事が多く、そういうところは流石にしっかりしたプロダクションのものになっていますな。
こちらの一曲目は "We've Only Just Begun" の元となった、銀行のCMソング。これや、あるいは前述のデモ・アルバムでの "We've Only Just Begun" はやや跳ね気味のミディアム・テンポで処理されていて、個人的にはカーペンターズや後にポール・ウィリアムズが自身のソロ・アルバムで取り上げたヴァージョンより好みです。

後半はTV番組のために書かれた曲と近年になって制作されたものでまとめられています。こちらにもジェリー・ゴーフィンとの曲がひとつありますね。
しかし、時代が現代になるにつれて落ち着いた曲ばかりになってしまうのは仕方がないのかな。やや単調に感じてしまうのだが。

このディスクの終わり近くに収録されている "Look Around" は、再結成スモール・サークル・オブ・フレンズのアルバムに入っていた曲。プロダクションが簡素であることで、かえってメロディの良さが伝わりやすくなっていると思います。いや、いい曲ですな。


統一感はありませんし、特にディスク2はポップソングもあればそうでないものもという風で、完全にファン向けの企画盤ですが、アタマからケツまでこのひとならではのメロディが詰まった2枚組ではあります。